ここでは私が借金をするキッカケとなった出来事をお話します。
この話の前段となる、私の異常な家庭環境についての話はこちら↓
【私の借金→自己破産までの経緯】はじめに:異常な家庭環境
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私の借金がはじまるキッカケの出来事が起こったのは、私が社会人2年目、当時24歳でした。
その頃の私は、飲んで豹変する父親と大喧嘩になって殺されかけた事がキッカケで、実家を出て一人暮らしを始めていました。
しかし父に毎日心ない暴言を吐かれ続けている母が心配で、実家の近くにひっそりと住んでいました。
母は一人娘の一人暮らしがよほど心配だったのか、よく私の家に遊びに来ていました。
私は何度も母に「父と離婚して私と一緒に暮らそう」と提案しましたが、なぜか頷いてくれませんでした。
思えばすでにこの時、母には多額の借金があり、離婚することでそれが露見するため、身動きが取れなくなっていたのだと思います。
そして私の生活は、時間的にも金銭的にも、余裕のあるものではありませんでした。
毎日終電、あるいは徹夜で仕事をして、月100時間の残業時間は超えていたと思います。
その上、当時はまだ36協定や過労死、残業抑止に対する社会的な後押しがなかったので、ほとんどサービス残業の扱いでした。
月100時間以上残業しても手取りは30万円程、深夜に帰宅するための1回1万円程のタクシー代は自腹で払っていました。
今でこそ飲ミュニケーションに「NO!!」という新人も多いかもしれませんが、私が新人の頃はそれなりに飲み会に誘われ、また結婚式に呼ばれることも多く、交際費は決して安くはありませんでした。
そのため毎月の生活費はカツカツで、手取りが30万円程あっても貯金することはおろか、どうにか赤字にならないように生活するだけで必死でした。
そんなある日、いつものように遊びに来ていた母から「お金を貸してほしい」と相談されました。
あまりに唐突で、特に深刻そうでもなく、世間話のついでのように言われたので、ちょっと困っているのかなくらいに感じました。
理由を聞けば、すぐに機嫌が悪くなり、プイと飲みに出かけてしまう父親の飲み代がかさみ、その月はお金が足りないということでした。
金額は2万円程だったと思います。
私をどんな時も愛情深く育ててくれた母が困っているのですから力にならないとと、私は二つ返事でお金を貸すことにしました。
社会人になってお金を稼ぐようになり一人暮らしを始め、どこか一人前になった気持ちでいた私は、頼りにされていると感じる一方、今まで尊敬し、盲目的に自分よりも高みにいると思っていた母にどこか失望し、母の存在が小さく感じるような寂しい気持ちにもなりました。
それからというもの、毎月2万円貸してほしいと頼まれるようになりました。
理由は決まって、飲んだくれの父親の飲み代。
そして貸した2万円が返ってくることはありませんでした。
「私も社会人になったから、お金で困っていたらなんとかできるからいつでも言って!」なんてかっこいいことを言ったものの、カツカツで生活している私にとって毎月2万円はかなり辛い金額でした。
この時私は、実家がおかしなことになっているではないかと薄々気づき始めていました。
社会人になりたての娘に毎月2万円を借りる母親。
家計が成り立たなくなるくらい飲み歩いている父親。
もともと私の家は、決して貧しい家庭ではありませんでした。
私は中・高・大と私立の学校に通わせてもらい、2年に1回は海外旅行に行き、車は高級外車を保有していました。
しかしその一方で私の父は、小遣い15万円、そしてそれ以上を飲み代に使ってくるようでした。
大人になった今、改めて思い返してみると、どう考えても家計がまわるはずがないのです。
そもそも私が「うちの家にお金がないのではないか…?」と気づき始めたのは、大学4年生の時でした。
無事に大学卒業の単位を取得し、内定も決まったため、卒業証明書を取りに大学の事務所へ行くと、発行できないと言われたのです。
理由を聞くと、学費が滞納されているからだと言われました。
頭が真っ白になり、私は慌てて母に電話し「学費が滞納されているってどういうこと?!」と責めたててしまいました。
その時母は、「学費の納入期日を忘れていて、入れ忘れてしまったからすぐに入金するね、ごめんね。」と特に慌てる様子もなく、電話を切ったのです。
そして実際学費はすぐに入金され、無事に卒業できることになりました。
この時どうして私は、うちの家計が大丈夫なのか本気で心配してやらなかったのだろうと悔やみます。
精神的に幼かった私は、お金に苦しむ母を責めたて、なんとなく気づいた問題に蓋をして見ないふりをしたのです。
思えば、こんなこともありました。
大学生の頃、サークルの仲間と飲んでいた頃、従姉妹から突然電話がかかってきました。
だいぶ酔っ払っていた私に、従姉妹は怒り声で、「もううちにお金を借りるのはやめてほしい!」と言いました。
聞けば私の母が、母の妹である従姉妹の母親に何度も何度もお金を借りては返していないということでした。
そしてそれは従姉妹の母親だけでなく、私の祖母にも何度も借りて返していないということでした。
私は突然のことにびっくりして、お酒が入っていたこともあり、泣きながら母に電話したのを覚えています。
母は私に何度も謝りながら、借りてもちゃんと返しているのに…と言い訳っぽく話していました。
余談になりますが、私はこの一件で従姉妹とは距離を置いてしまいました。
そして母の家族である祖母、叔母に対しても何かスッキリしないものを今でも感じています。
元はと言えばお金を借りた母がいけないのでしょうが、ずっと前からこのような状況になっているにもかかわらず、お金を貸すだけ貸して、なぜ根本の問題を解決してこなかったのか理解できないからです。
とはいえ、私自身も大学時代にこのような経験をしていたにもかかわらず、自分の家のお金の問題から目を背け、母一人に苦労を押し付けていました。
そして私の家族に生じた歪みは、年を重ねるごとにどんどん歪に大きくなり、もはや母一人の力ではどうにもならないところまできていました。
人知れず膨れ上がった借金は歯止めがきかず、私が母に貸していく金額はますます大きくなっていくのでした。
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2.借金の泥沼:“お金”によって、大切な何かが失われていく