私が借金を背負い、自己破産をして人生をやり直すまでをお話するにあたり、はじめに私の家庭環境についてお話できればと思います。
私の借金の始まりは、私の“異常な”家庭環境から事が発していたのです。
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私は、真面目で博識な父と、優しすぎる母の元に一人娘として生まれました。
女の子の一人っ子ですから、かなり甘やかされて育てられたのは間違いありません。
父も私には大変甘かったですし、母も私を第一に惜しみない愛情を注いでくれました。
私自身、両親には愛されていると感じていましたし、幸せな家庭なんだと思っていました。
しかし、私の家で変わっていることがありました。
それは父が極度の潔癖症だということでした。
いわゆる電車のつり革が汚くて持てないということはもちろん、父の毎日の日課は財布に入っている紙幣と小銭、携帯電話を洗うことでした。
家の床に物が落ちても汚いと感じるらしく、自分が何か物を触って手を洗うのは当たり前、母や私が床に落ちたものに触れることに対しても汚いと感じていました。
そして、常に身の回りに対し汚いと感じることから極度のストレスを感じているようで、父は家ではいつも不機嫌でした。
父は仕事から帰ってくるとものすごい不機嫌顔で、一言も発せず、なぜかそのストレスを母にぶつけるのが日課でした。
父は日常的に母に言葉の暴力を浴びせていました。今でいうモラハラというやつです。
それは子供心にもわかり、私が潔癖症の父の逆鱗に触れてしまうと(例えば床に落としたおもちゃを何気なく拾う…など)、その怒りは母に向けられてしまうので、父が帰宅する時間がいつも嫌で、その時間になると私はいつも緊張していました。
大人になった今でも父が玄関に不機嫌に立つ姿を覚えていますし、悪夢にうなされる時は必ずその時の父が出てきます。
私の家は、父が絶対的支配者として君臨していて、母は文句の一つも言わず、父に付き従っていました。
父は機嫌が悪くなるとすぐにプイと家を出て、酒を飲みに出て行ってしまう人だったので、その度に母は私に「こんな家に生んでしまってごめんね。」と言って泣きました。
その姿を見て、私の家は他の家と違っておかしいのかもしれない、でもきっともっと辛い家庭はあるはずなんだから、私は幸せなんだと思い込み、ただただ黙って耐えていました。
さらに酒が入った父は輪をかけて暴力的になりました。その上、酒を飲んだ時の記憶が丸切りないのです。
普段は暴力を振るわない父も、酒が入ると母に暴力をふるい、母が流血沙汰で救急車で運ばれたことや、父が警察沙汰になり母が迎えに行くことがしょっちゅうありました。
普通の感覚だったらこんな毎日が続けば、こんな生活から逃げたいと考えるのは当然だと思います。
しかし私の母は長年の暴力的な支配から、“逃げる”という選択肢が完全に失われていました。
毎日言葉の暴力を受け、時には身体的にも暴力を受ける。
そんな日々が続いたら普通なら「そんな夫とは別れる」とか、「せめて夫がいないところへ逃げよう」とか考えますよね。
でもずっと身体的、精神的に暴力を受け続けてしまうと、暴力を振るう人から逃げるという考えが麻痺してしまうんです。
「もっと酷い目にあったらどうしよう」とか、「でもこの人は私がいなくちゃ」とか理由をつけてその人から離れられなくなるんです。
こうなってくると本当は第三者が両者を精神科に連れていくべきなのですが、当時子供だった私にはそんな力はなく、また自分が置かれている家庭環境の異常性に対し、何の解決策を持っていませんでした。
この酒を飲むと訳が分からなくなる極度の潔癖症の父、その父に暴力的に支配され全く逆らえなかった母、そしてこの家庭環境の異常性に気付きながらも何もできなかった私。
この3人が状況を何も変えずに何十年も過ごしていたために、私が自己破産することになるのです。
▼私の借金→自己破産までの経緯のつづきを読む
1.借金のキッカケ:ある日母に言われた突然の言葉「お金を貸してほしい」