ここでは、私がはじめて金融機関から借金をした背景や、お金によって大切な何かが失われていく様についてお話しします。
この話の前段になる「私の借金のキッカケ」や、「私の異常な家庭環境」についてはこちらをご覧ください。


目次
はじめての借金
月2万円を母に貸す日々がかれこれ半年程過ぎた頃、私がボーナスをもらうタイミングで、母は今度は5万円貸してほしいと言ってきました。
私もまだ社会人になって2年目、これといって多くの金額をもらっているわけではありませんでしたが、一応ボーナスをもらえていました。
ない袖でしたら振れませんでしたが、ボーナスが入って金銭的には余裕がある月だったので、私は母に5万円を渡したのです。
しかしもちろん、この5万円も返ってくることはありませんでした。
そしてこの5万円を貸したことがキッカケで、母は時折5万円貸してほしいと言うようになりました。
毎月100時間以上残業して手取りは30万円ありましたが、その分出ていくお金も多かった私にとって5万円を貸すのは難しいものでした。
そのため、なけなしの貯金を崩しながら母に手渡していました。
それでも5万円を渡すのが難しい時は、正直に伝え渡せるだけのお金を渡したものです。
この時には毎月お金を渡すというよりは、母がお金が足りないと相談してくる度にお金を渡していました。
その頻度は増えていくばかりで、月2回、月3回と1回1万円でも構わないからとお金を渡しました。
この頃、さすがに私もおかしいと思い、いい加減お金を返してくれないかと母に言ったことがあります。
そうすると不思議なことに、お金を返してくれと頼んだ翌週くらいには貸したお金のいくらかが戻ってくるのでした。
思えば、私ではなく他の人からお金を借り、私に渡すといった自転車操業のようなお金のやりくりをしていたのだと思います。
そして、おかしいと思いながらも母にお金を渡し続けていたのは、飲んだくれの父が何を言っても変わらないこと、そしてそれに耐えている母を支えるには黙ってお金を渡すしか他にないと思っていたからです。
また何よりその時の私は、自分が生活する事にいっぱいいっぱいで心の余裕もなく、仕事が忙しいことを理由に面倒事から目を背けて、根本の問題に向き合おうとしていませんでした。
今冷静になって当時を振り返ってみると、お金を母に渡すだけがどれだけ無意味であったか痛感します。
それはなんの解決にもならず、ただただ私も母も一緒に潰れていく未来しかありませんでした。
しかし、お金の問題というのは非常に面倒な上に、だんだんと人の精神を病ませ、正常な判断を取ることができなくなっていくのです。
これはお金に追い詰められた経験した人にしかわからない感覚だと思います。
そして正常な判断がつかなくなった母はついに私にこんなことを言うのです。
「生活費に困っているのなら、銀行からお金を借りたら?」
これが自分がお金を借りていることで毎月の生活に困っている娘に母親が言う言葉でしょうか?
私の母はどこにでもいるような、元気で明るく、ワイドショー好きで、スーパーの安い食材で美味しいご飯を作り、洗濯も掃除も完璧にこなし、家族が風呂に入ってから最後に自分が入るような控えめで、、、何より娘を世界で一番愛している人でした。
そんな人が最愛の娘に、何の悪気もなく、そんな言葉を発してしまうのです。
“お金がない”という飢餓感は、それくらい大切なものを奪ってしまう力があるのです。
しかしその当時の母は、いつも笑顔で、精神を病んでいるようには全く見えなかったのです。
おそらくそこにあるのはお金をどうにかしなくてはいけないという焦燥感しかなかったのでしょう。
“お金がない”という飢餓感はこうまでも人の感覚を狂わせていくのです。
しかし当時の私は、母からこの提案を受けた際に、特に何も引っかからなかったのです。
「あ、そうか。借りればいいのか。別に返せるだろう。」くらいにしか思っていませんでした。
いつか母からのお金の催促は止まるだろうと何の根拠もなく楽観視していたのです。
気がつけば、私自身も“お金がない”という状況に飲み込まれ、正常な判断ができなくなってしまったのです。
母の提案に対し、私は赤い銀行と緑の銀行のカードローンの審査を行い、お金を借りることにしました。
そして、銀行から融資を受けた事を知った母は、時に10万など多額のお金を私から借りるようになりました。
私は銀行からお金を借りるようになって半年であっという間に50万円の借金をしていました。
両親の突然の離婚
母にお金を渡し始めてから1年半が経った頃でしょうか。
唐突に母が私の家にやってきて、父親と離婚したというのです。
話を聞けば、父親が酔った勢いで離婚届を役所に出したというのでした。
今後の二人の生活や年金、慰謝料など何にも決まっていません。兎にも角にも私は母に、父のいる家には戻らず、私の家で生活するように伝えました。
今まで私と一緒に暮らすということを承諾しなかった母も、私の強引な説得もあり、その日から私の家で暮らすことになりました。
それから、一人暮らしの私の家での、母とのふたり暮らしが始まりました。
私は相変わらず終電、徹夜の日々で母と顔を合わせる時間は少なかったですが、家に帰れば誰かがいてくれるというのは嬉しいものでした。
即物的ですが、料理・洗濯・掃除がされているというのがとても助かっていました。
そして何より、母がもう父親に怯えて暮らす必要もなければ、お金を工面する苦労もなくなるので良いことづくしだと思っていたのです。
大人になってからの母とのふたり暮らしというのはぶつかることも多く、全部が全部いい思い出だけではありませんでしたが、後に私は結婚し、一緒に暮らすことがなくなった今、あの日々はとても懐かしく、温かい日々でした。
抜けられない生活
しかし、そんな温かな日々は“お金”によって壊れることになりました。
父と離婚し、一緒に住まなくなったことで、もう私からお金を借りる必要がなくなったはずなのに、母はいつものようにお金を貸してくれというのです。
もちろん理由を聞きました。
すると、父の飲み代として他の人にお金を借りていたので支払わないといけないというのです。
この時、何かとても嫌な予感がしました。
母の実家は遠く、とても近くにお金を借りられるような親しい間柄の人はいなかったのです。
ある日、私はいつものように会社に出かけ、そっと半休を取り自分の家に帰りました。
そこには母が驚いた顔で出迎えてくれると思ったのですが、家には誰もいませんでした。
少し買い物にでも出かけたのかなと思ったのですが、それから何時間家で待っていても母は帰ってきません。
私がいつも終電で家に着く少し前の時間になって母が帰ってきました。
私は母にどこに行っていたのか尋ねました。
母は「少し出かけていただけ」と言いました。
そんなはずはありません。私は半休を取って家でずっと待っていたのですから。
母は、私に内緒で離婚していた父の元に帰っていたのでした。
母は、離婚した父と、私の家と二重生活を送っていたのです。
離婚した父の元で今までと変わらず、家事をこなし、父の世話をしていた本当の理由はわかりません。
借金がバレないようにしたかったのか、はたまた父が怖かったのかもしれませんし、父へ情のようなものがあったのかもしれません。
ともかく、母は父の束縛から抜けられないでいたのでした。
私は母に強く抗議し、母に父の元に戻らないよう説得しました。
その間母はただただ黙ってうなづいていただけでした。
そしてついに私が問題を直視しなければいけない事件が起こります。
銀行のカードがない…!
母に父の元へ帰らないよう説得して数日たったある日、私が仕事の合間にコンビニでお金をおろそうとした時のことです。
財布にキャッシュカードがないことに気がつきました。
私は決してマメな性格ではありませんが、大事なものを落としたり無くしたりしたことは一度もありません。
すぐにピンときて、母に電話をかけました。
「キャッシュカードが財布にないからすぐに警察に届けようと思う」と母に言うと、母はそんな必要はないんじゃないかと言いました。
その後もなぜか私が銀行や警察に行って手続きをしようとするのを止めるような発言をします。
私は本当はわかっていました。
母が私の財布からキャッシュカードを盗んだのです。
しばらく押し問答が続いた後、母は自分がキャッシュカードを盗んだことを白状しました。
その時の気持ちがわかるでしょうか。
怒りと悲しみと失望と…一気に感情が湧き上がって頭に上って、思わず叫び出してしまいたかったです。
何度も言いますが、母は誰よりも優しい自慢のお母さんでした。
この時ついに私は、母に、そして私の人生に関わる重要な問題に目を向ける決意をしたのです。
そして、家を出てから二度と会うことはないと思っていた自分の父親に連絡を入れるのでした。
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3.そして自己破産へ:逃げ出したい